復興記念館収蔵品データベース
Great Kanto Earthquake Memorial Museum Database寒山大士図
展示場所 | 記念館 1 |
種別 | 1.震災 |
整理番号 | 16-00033 |
分類項目 | 16.記録資料② 記録作品(絵画・彫刻・文集・写真など) |
寸法(mm) | H500×W1480 |
数量 | 1 |
重量(g) | - |
年代 | 1931年 |
キャプション | 拾得大士、寒山大士図は中国唐代の玄宗、あるいは憲宗の頃(8~9世紀)の二人の道士の絵です。寒山は寒厳幽窟に住んでいたことから寒山と呼ばれました。拾得は国清寺の豊干禅師に拾われたことからこの名になりました。寒山はよく国清寺に出入し拾得から残飯などをもらい詩を作って暮していました。両者は一見風狂な様子ですが、深く仏教の哲理に通じ、普賢、弥勒菩離の再生とも伝えられています。また寒山、拾得に豊干禅師を加え世の三聖、三隠とも言われ、和合、平和の姿として古来からひろく東洋画の好画題として描かれます。 作者の王一亭氏は、1867年上海に生まれ、親日経済人であり、孫文大総統のもとで農商務大臣を務めた政治家でした。他面文芸、書画の他、特に仏画に秀で、呉昌硯氏と並ぶ「清末民初」の双壁といわれた文化人でした。また貧しい人々、身体障がい者に対して救護活動をすすめた社会慈善事業家で中国仏教界の重鎮でもありました。 王一亭氏は、1923年9月1日の関東大震災に際し、上海を中心として救助活動の先頭にたって、米、麦をはじめ多くの救援物資を数回日本に送りました。また王一亭氏は、中国仏教徒とともに震災犠牲者の慰霊弔祭を行うほか、「弔霊梵鐘」の寄贈金調達のため、多数の書画を寄贈されるなど、震災に際し熱情あふれる活動をしました。 復興記念館におさめられている絵画(絹本着色)4点は、1931年、王一亭氏が来日のとき、特に復興記念館の竣工を喜び寄贈されたものです。 |