復興記念館収蔵品データベース
Great Kanto Earthquake Memorial Museum Database被服廠跡
展示場所 | 慰霊堂 その他 |
種別 | 1.震災 |
整理番号 | 16-00194 |
分類項目 | 16.記録資料② 記録作品(絵画・彫刻・文集・写真など) |
寸法(mm) | |
数量 | 1 |
重量(g) | |
年代 | 1923年 |
キャプション | この慰霊堂の敷地附近は元陸軍被服廠であって空地となっていたので絶好の避難場所となり各方面から集った為立錐の余地もありませんでした。午後三時頃延焼してきた猛火はここを襲い火に包まれ煙に巻かれ一瞬にして三万八千の人々が悲惨な犠牲となりました。遺体は十数日かかって露天火葬し焼骨は山と積上げてあったのでただ合掌するより言葉はありませんでした。 作者の徳永柳洲は1871(明治4)年岡山県和気郡藤野村(現和気町)にて出生しました。1898年「萬朝報」(黒岩涙香社主の新聞社)に入社、画報部主任として活躍しました。1911年パリなどヨーロッパに留学、帰国後文展に入選し、「光風会」同人となりました。 1923(大正12)年、関東大震災直後の惨禍を門人達とスケッチしてまわり、その作品を制作して全国を巡回し、展覧会を開催すると共に、震災復興基金を募るなどの活動をしました。晩年は富山に転居し、立山や黒部渓谷を描き、日本画と洋画を融合させた新しい絵画を目指しました。1936(昭和11)年65歳で逝去しました。 |