復興記念館収蔵品データベース
Great Kanto Earthquake Memorial Museum Database翌日の悲嘆
展示場所 | 記念館 2 |
種別 | 1.震災 |
整理番号 | 16-00105 |
分類項目 | 16.記録資料② 記録作品(絵画・彫刻・文集・写真など) |
寸法(mm) | - |
数量 | 1 |
重量(g) | - |
年代 | |
キャプション | 地震の後、各地から発し火災は広範囲に燃え広がったため、火炎に追われた人々は夜中逃げまわって翌朝になり自分の居住地を探しました。すると、家屋や財産は焼失しており、退避できず焼死した人の遺体が見られました。 作者の徳永柳洲は1871(明治4)年岡山県和気郡藤野村(現和気町)にて出生しました。1898年「萬朝報」(黒岩涙香社主の新聞社)に入社、画報部主任として活躍しました。1911年パリなどヨーロッパに留学、帰国後文展に入選し、「光風会」同人となりました。 1923(大正12)年、関東大震災直後の惨禍を門人達とスケッチしてまわり、その作品を制作して全国を巡回し、展覧会を開催すると共に、震災復興基金を募るなどの活動をしました。 晩年は富山に転居し、立山や黒部渓谷を描き、日本画と洋画を融合させた新しい絵画を目指しました。1936(昭和11)年65歳で逝去しました。 |